市街化調整区域。
- ながみね
- 2021年12月1日
- 読了時間: 3分

少し前、リフォームをしてくださる康平くんから、
こまった事になりましたぁ…と連絡がきました。
建築には、色んな法律があるみたいで、
私がお店を始めようと思っていた場所(実家)は、
『市街化調整区域』という地域に属していて、
ここではお店が出来ないかも知れん!という事でした。
市街化調整区域…初めて聞いたんですけどー。
めちゃくちゃ簡単に言うと、その地域では勝手に建物を建てたり増築したり、商売を始めたり出来ないのです。
要は、発展させちゃいけない地域って事です。
えぇぇ…どうしよう…どうしますぅ…?
これは困った事になりました。
心臓バクバクです。
とりあえず役場に行ってみましょう、という事で康平くんが一緒に役場にいってくれました。
県の方に確認してみないと、なんとも…
という事で、担当の方にお願いしてその日は帰りました。
けど!
けれども!!
もう、『市街化調整区域』で検索をかければかけるだけ心配になります。
心臓バクバクが増し増しです。
ここでできない、となると…もーう、今まで考えて来たいろんな事が変わってきます。
でも、そうは言っても
できる事とできない事で できる事を選んでいくしか無いので
とりあえず、待ちました。
しかし待ちきれず、役場に行ってみたりしました。
とりあえず、少しでも安心できる事言って欲しい…
そんな気持ちです。
役場に行くと、こんな事を教えてくれました。
わたしの住んでいる実家の母屋は、明治17年に建てられたものだそうで、
そこが調整区域に指定された昭和45年より、ずいぶん前に建てられた建物だ、という事でした。
明治17年というと、137年前です。
…137年前?
想像がつきません。
明治17年と言ったら、たぶんちょっと前まで、ちょんまげの人が普通にいた時代ですよね?
るろうに剣心の時代背景くらいかな?
じゃあ、それより前のわたしのご先祖さまは、どんな家に住んでいたのかな。
もっと前のご先祖さまは、どこからやってきたのかな。
などと考えて、少し楽しくなりました。(単純か)
そんな大昔から、ご先祖さまは百姓をして、子孫を繁栄させてこの土地を守って来た訳ですね。
これからは、わたしがパンでこの土地を守るってことは、
ある意味、百姓一揆じゃないですか?
という事で、結果的には県の許可が降りましたので
無事に開業準備、始めます。
康平くん、役場のみなさん、相談にのってくれたみなさん、
ありがとうございました。
がんばります。
ちなみに百姓という言葉を辞書で引くと
『百の姓』ということで一般の人民の事を指す言葉だそうです。
百姓って、農家の事だと思っていましたが、そうじゃないみたいですね。
昔は専門の業者さんと言うのが無かったので、みんな、農業だけでなく何でも自分たちで作って生活していました。
畑で自分たちの食べるものを作って、家畜を育てて、その合間に服を縫ったり藁を編んだり竹を編んだり、木を切って薪にしたり小屋を建てたり、味噌を作ったり、漬物を漬けたり…
百姓=なんでも出来る人たち。って事ですね。
すごいですね。
たしかにうちのばあちゃんは、なんでも出来る人でした。
本当の百姓が、どんどんこの世を去っていって、
ハイテクになっていく事は、果たして本当にいい事なんだろうか。
わたしは何だか、さみしい気持ちになります。
ちいちゃい頃は、鍵っ子に憧れて、百姓の家って田舎者って感じがしてなんとなく恥ずかしかったけど、
全然恥じる事じゃなくて、むしろ誇りに思える事だったんですね。
家に帰れば、必ず誰かが居てくれるありがたさも一人暮らししてみないとわかりませんでした。
大人になってから気づく事って、たくさんあります。
写真は、餅つきしているじいちゃんとばあちゃんです。 いい写真だな。
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